HOME INFORMATION月1連載「Road to Opal」

Road to Opal 16

時は2001年11月某日

「満身創痍」。まさにこの時のファルコン号を端的に表すにはこれ以上ない適格な表現である。この時点で購入当時の全てのタイヤはバースト交換済み。マフラー喪失。
Wintonまであと数十キロの地点でエンジンルームから派手に煙を噴きちらかしながら道路わきに緊急停車。まずい。誰がどう見てもこれ以上は動きそうにない。逝った。
見渡す限りなにもない。当然だ。ここはオーストラリアの内陸部。一番近くの町であるWintonまで歩ける距離でもない。軽い絶望感をしばらく2人で味わいながらも徐々に冷静さを取り戻し事態の打開を考える。
幸いにも比較的大きな幹線道路沿いであったため、15分に一台くらいのペースでWinton方面に向かう車は確認できた。
とりあえずはWintonを目指すため、行き交う車に手を振り止まってもらうことに。
ほぼみんな心配そうに停車してくれて、「水は持ってるか!?」「食料はあるか?」「なければ分けるぞ!」など声をかけてくれる。少し話は逸れるが、オーストラリア🇦🇺の広大な大陸を移動する上で、やはり互助精神が非常に強く働いているようで、アウトバックを走っている最中にもすれ違い様に手を振って挨拶することなども良くあるわけです。いざ何かトラブルがあった際にはお互いを助け合う気持ちが強く、荒野での立ち往生は直接命にかかわり、「明日は我が身」なのだと思われる。この傾向は人が少ない僻地へ行けば行くほど顕著になり、過酷な荒野住まいが必然的に助け合いの精神を醸成したのであろう。
幸いにして水や食料は大量に積んであったので、最悪の場合、何日かは過ごす事は問題なく可能ではあったわけなのだが、やはりこんな荒野のど真ん中で寝泊まりはごめん被りたい。
そんなこんなで、心優しい通りすがりのオージーの何人かと話した結果、ようやく、一台の車にWintonまで乗せてもらうことになった。ただし、ファルコン号を無人で放置するわけにもいかないので、相方Kを1人置き去りに、洋灯舎1人がWintonへと同乗し、そこで助けを要請することに。
後に聞けば、KはKでかなり心細かったらしい。それもそのはず、時はすでに日も落ち始める夕方を回っており、もうまもなく暗くなるであろう時間帯だったのですから。周囲には人影おろか、近代文明を感じさせる建物一つないわけで、1人待ち尽くすKが気を紛らわせるためにクーラーボックスに積んでいたキンキンのビールを何本も飲んでいて後に少し口論にいたったのはまた別の話し、、。
Wintonにつくや、すぐに車の修理工場を訪れては事情を説明しつつ交渉をすると、積載車を出してくれることに。ありがたい。これでどうにかファルコン号とKを回収できる。積載車に同乗し、道案内をかねて(一本道なので案内も何もないのであるが)小1時間ほども走るとようやく見えてきたではありませんか、ボロボロのファルコン号と、さっき別れたときよりも更に寂しそうな表情で立ち尽くしていたKが。
すでに暗くなっていたものの、本格的な夜を迎える前にどうにか危機を脱出した30手前のおじさん2人。町に到着した時点で既に遅い時間だったため、とりあえず宿を確保し、翌朝改めて修理工場を訪れてファルコン号の故障の度合いを確認すると、更なる危機に直面した事を思い知らされるのである。。

次号「まさか!!旅の終わり!?」

   
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