月1連載「Road to Opal」

Road to Opal 11

時は2001年11月某日
写真が前号にて話にあがった件の当時のヤワのモーテル。こうして改めて見ると思っていた以上の「掘っ立て小屋」感。
ここを拠点にヤワを散策!のつもりでしたが、時は初夏。しかも異常に熱く日中は40度超え。ヤワの町にはほとんど人がいなく
、宿の周りをぐるっと見渡しても店らしい店も見当たらないので、とりあえずは閑散とした町中を車で少し流してみることに。しばらく砂利道をガタゴト走っていると、なにやら見えてくるわけです、「Opal」と看板を掲げた店らしき建物が。しかも建物の外には「Open」の立て札が。
これ幸いとばかりに、ファルコン号を店?の脇に適当に乗り捨て(実際、イメージとしてはこんな表現になります。特に整備された駐車場があるわけでもなんでもないので。。。)、ごめんくださいと言わんばかりに恐る恐る足を踏み入れたのです。外の日差しがあまりに強烈すぎたので、室内の裸電球の薄明りに目が慣れるまでに少し時間を要するも、徐々に目に入り込んできたのです。そう、ライトニングリッジで見たオパールとは全く違うなにやら茶色の石たちが。未知との遭遇。ファーストエンカウンター。ピクチャーオパールとの会遇の瞬間。まぁ、少し大げさに表現してしまいましたが、初めに見たときは実は「なんじゃこりゃ」的な気持ちを抱いたのは否めませんでした。なにせ、ライトニングリッジではキラキラな、いわゆる宝石として名高い、ブラックオパールを散々に見てきたわけですから、初見、ぱっと見に、茶色く地味に感じる石がびっしりと並んでいるではないですか。。もちろん、「始まりの一冊」にも写真も含め紹介されているわけですから、ある程度の事前知識は刷り込んできたものの、実物を見るのとではまた印象もだいぶんと違うわけです。白く長い顎鬚を蓄えた店のおやじ(後に実はヤワの重鎮の一人でもあり、始まりの一冊にもしっかりと紹介されていて、20年経った今でも洋灯舎が世話になりっぱなしの人物なのですが)に声をかけ、ピクチャーオパールを手に取らせてもらうことに。白熱球の灯のもと、手のひらのなかで揺らすように右に左に泳がせてみることに。動きの中で、茶色い母岩の中をチラチラキラキラと煌めきが走り、言葉ではいかんとも形容しがたい美しさを醸し出しているではないですか。まさに大地の灯、自然の生み出したクリムトを彷彿させる絵画のごとく。こんなものが天然に出来上がるのかと、心の中で感嘆しながら、次から次へと、別の石たちを手の中で転がしながら夢中になっていたことは今でも覚えています。


店のおやじに色々と話しを聞いているうちに、せっかくだから研磨をしている様子を見てゆけばよいと言ってくれ、店の奥にある研磨作業場に通され、実際にピクチャーオパールを研磨している姿を見せてくれたのも非常に良い経験だったと思うのです。当時はなにもかもが初めてで、見るもの、触れるもの、聞かされる話し、全てが新鮮で、興味深く、そして胸躍る体験だったのです。そして後に、この時の遭遇が20年以上経過した今でも、洋灯舎の活動と密接に関連し続けてゆくことなど当時は全く想像すらできていなかったわけなのです。

次号 「ピクチャーオパールとはそもそもなんなの編」

   
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