「アメリカンカントリー・アンティーク雑貨」

1620年12月イギリスからアメリカ大陸にたどり着いた清教徒には、これから本格的な冬を迎えるという厳しい条件が待ち構えていました。雨露を凌ぐ家も暖をとる薪も食料の蓄えも十分ではない筈の、雪に埋もれた厳冬期をどうやって全滅せずに生き延びられたのか信じられない気がします。じっさい生存のための条件は想像を超えた厳しいものであったらしく、最初の冬を生きて越せなかった人の数は半数以上であったと言われます。

言い換えれば半分近くもの人々が生き延びることができたのです。そのためには、きっと折に触れて出没する先住民(“アメリカ”インディアン)の助けがあったに違いありません。私がこの地方で家族と共に暮らす機会を得たときに、長男が 現地の中学校で使っていた副読本だったか、それとも後に読んだ、ピルグリムファーザーたちとインディアンの交流史についての分厚い本であったか、記憶も定かではないの.で、覚えている内容も正しくないかもしれませんが、二年目の(上陸後初めての春)を迎えたときには先住民の“侵略者”への警戒心も緩み、先ず食料を得るための畑の耕し方、耕地の地味による野菜や穀物の植え付けの判断などを手にとって教えてくれたようです。

生きるための必死の営みであれば、身振り手振りなどのボデイランゲージやパントマイムで十分だったのでしょう。それが互いの意思や感情を伝え合うはなし言葉の辞書づくりにまで進んでゆくのはわけもないことでしょう。この時点では互いの交流は互恵的なものではなく一方的な好意の恩恵にあずかっていたのです。またこのあたりをテリトリーとしていた部族がチェロキーという性温順で頭もよく高度な社会組織を築いていたインディアンであったことも、最初の入植者にとっては幸運でした。交流が互恵的なものになるのは入植者たちの生活基盤が確立した後のことでした。

第2次、第3次メイフラワーや,他のルートからの入植者が増えるとともに、最初の入植地は手狭となり、新しい入植者たちは西へ、西へと新天地を求めて移動します。インディアン社会には土地の私有という概念はなかったようなので当然、「わが土地」に対する白人たちの強烈な所有欲には太刀打ちできませんでした。こうして入植は軌道に乗り先住民の助けはいらなくなり、先住民との希望に満ちた未来は予測しにくくなってしまいました。アメリカ建国の頃には、インディアンとの関係、奴隷制度、ゴールドラッシュ、南北戦争など暗い話が多いのですが、ここでは明るい面のカントリーに注目しましょう。

さてアメリカのカントリーグッズの面白さは偏ひとえにアメリカの歴史の新しさにあると思います。しかし100年~400年が、歴史的に新しい国であるからと言って軽んずるのは見当違いも甚だしいのです。いまの日本で100年前は愚か、50年前の生活用品がどれだけ残っているでしょうか。400年はなおさらです。ヨーロッパについても事情は似たようなものでしょう。それには世界大戦が関わっているでしょう。空爆を含めて、戦場となった国々からどれだけ古いものが失われたか見当もつきません。たまたま戦火を逃れた場合でも古い「お宝」が「二束三文」で買い叩かれたり「米やパン」、「芋や豆」に化けてしまったわけですから。
その点アメリカ本土は戦火を知らず(内戦は別です)また古いものに古きがゆえに応分の敬意を払う国柄でもあるので、古く、価値のあるものがたくさん残されています。いや、世界的に見ても今日こんにち、アメリカこそが古いもの(カントリー)の最大の宝庫となっているのです。

アメリカ人の面白いところは,せいぜい100~400年という短期間に人類の経験してきたあまり現実感の持てない気の遠くなるような太古からの経験を、原始人から再現せざるを得ない状況に身を置いて、そこから必要なモノをつくり出しているところです。そのおかげで私たちは今を生きる人間として、八類の記憶の仲立ちをしてくれるアメリカンアンティ-クの作り手(ご本人にはむろん必要に迫られて作っているだけで、“アンティーク”をつくっているという意識はない筈ですが)を血の通った親しいものに感じるのです。

日本人の工夫の才を我々は自慢しがちですが、どうしてどうして。アメリカ人の道具好き、発明好きにはほとほと感心します。カントリーの様々な道具をみると,人間のあらゆる行動を道具を通じて表現しようという執念みたいなものを感じます。あまり役に立ちそうにないものへの執心ぶりがあるのはそのせいかもしれません。役に立つものから役に立たないものまで無限のvarietyがあります。全く役に立たないというのはブラックな可笑しみを超えた、なにか透明感のある喜びがあります。
りんごの皮むき器はたくさん残されているので、役にたったのでしょう。サクランボの種採りはどうでしょうか。アイロンや秤はお馴染みですが、中には何に使ったか見ただけでは分からないものもあります。

「アメリカンアンティークランプ」

アメリカは歴史の浅い国です。古ければ古いほど尊ばれる骨董の世界では新参者としてやや肩身の狭い思いをするすることがあるのはやむを得ません。それにはアンティークの定義として百年程度をめどとすると言った財務省だか税関だかの役人 […]

「アンティークガラス」

洋灯舎で扱っているアメリカのアンティークガラスは一般的にはデプレッションガラスと呼ばれている年代のものが多いです。 世界大恐慌(デプレッション)の後の困窮の時代に登場した一連のガラスはデプレッションガラスと呼ばれていて、 […]

「アメリカンカントリー・アンティーク雑貨」

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「陶磁器・ラッセルライト」

陶磁器シェリーその他の英国製カップなどアメリカで使われていた陶器は、第二次大戦までは基本的にヨーロッパ製でした。その中ではやはり英国製のものが主流で、華やかな薔薇などを描いた様々な銘柄のカップ・ソーサーを多数揃えています […]

「フィードサック・キルト」

フィードサックアメリカでまだ新しい布地が貴重だったころ、穀物をいれる木綿の袋にいろいろな模様をプリントして売り出したところ、大変な人気商品となりました。人々は穀物を出した後の袋をほどいて、服をつくったのです。このフィード […]

「オールドノリタケ」

第一次大戦の前後、相次ぐ戦争でヨーロッパからアメリカへの陶器の輸入が減少した時期がありました。その時に輸出を伸ばしたのが日本のノリタケでした。生糸以外に有望な輸出品に乏しかった当時の日本で、陶器は新しい品目でした。 しか […]

   
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