アメリカのアンティーク屋さんを回っていると、よくAntiquesand Collecti(a)blesという看板を見かけます。 日本ではこの「コレクティブル、またはコレクタブル」という言葉が、いわゆるビンテージものと同じように、“アンティークというには古さが足りないが、さりとて中古やジャンクといってしまうには忍びない魅力があるもの” つまり「制限されたアンティーク」という受け取り方をされているらしいことを知りました。それが困ったことにむしろ業界の人に多いらしいのです。誤解や思い込みに基づいて間違った英語が日本語として独り歩きしてしまっているのはよくあることですが、これも何かのいきさつでそうなってしまったのでしょう。
英語のコレクティブルにはもともとそういう意味はありませんし、本場の人たちは誰もこの言葉の中に「準アンティーク」という意味合いを込めることはありません。ちかごろ気になり始めて機会あるごとにあちらのアンティーク屋さんに確かめてみてもそのとおりでした。これは(すでに)日本語なのだと開き直られても素直には頷けませんね。もともと日本語にはない言葉を輸入したものであることを考えれば、このままにしておいてよいとも思えません。
読んで字のごとし。この言葉にはたんに蒐集の対象となるものという以上の意味はありません。実際お店に入ってみましょう。
私には収集癖はまるでなく、大体そういう棚やケースは素通りしてしまうのですが、コレクティブルと呼ばれているものには、たとえば映画のポスターやキャラクター人形、ブロマイド、切手、ライター、コインなど、実際には難しいけれども理屈のうえでは集めようと思えば全部集められるかもしれない類のものが含まれます。であるからこそ全部集めたいという情熱を燃やす人もでてくるわけです。要するに収集マニアの対象となるような品々です。新しい、古いは基本としては関係がありません。新しいものばかりしか扱っていないコレクティブル屋さんもあるのです。もちろんコレクティブルに数えられているものの中には何百年も前のコインのように、アンティークとして大威張りできるものがたくさん含まれています。そんなところから、コレクティブルの多くは、いつからかアンティーク屋さんの守備範囲となったのでしょう。
これで日本で流布されつつあるコレクティブルの定義がおかしいことがお分かりでしょう。また家具や美術、工芸品、あるいは私の守備範囲であるランプの、古くはあるがそんなに古いとはいえないものに、アンティークに準ずるという意味でのコレクティブルという呼称が用いられることは決してないことを付け加えれば、事情はさらにはっきりするのではないでしょうか。
こんな言ってみればどうでもよいことを考えているうちに、同じ屋根の下で暮らすアンティークとコレクティブルの間には、同床異夢というか、カテゴリー上の違い以上の、本質的な違いがあるらしいことに気がつきました。それはそれぞれの後ろに「好き」を入れてみればわかります。この人たちがどういう場面で色めきたつかを考えてみると、人間のタイプとしてずいぶん違っていると思えませんか。—ちょうど時間となりました。この続きは後ほど。 (2006年 3月19日)